2015年02月23日

禅の悟りとは

禅で言うところの「悟り」とはなんだろうか?

悟りとは、ある心の状態とか境地のことではない。

禅と言えば坐禅である。

しかし、坐禅とはあの坐ることだけではない。

現成公案(げんじょうこうあん)とは、日常生活の中にこそが修業であり坐禅であると言われる。

坐禅とは、人間の様々な見解(観念)を離れて本当の自分を発見することである。

それは、日常生活の中にある。

例えば、お茶を飲むとお茶の味がする。

お茶を飲んでビールの味がする人はまさかいまい。

あるいは、ピアノの音を聴く。

空を見上げて雲を観る。

人間は、自分の意思の力でビールを味わえるとか、ピアノの音を聴くと思っている。

果たしてそうだろうか?

自分で考える前にビールを飲むとビールの味がするしピアノの音を聴こうとする前に聴こえているのである。

そうした本来の自分の機能に学べば良い。

よく考えれば、自分で考えて成し遂げられたことは何もない。

ごはんを食べることすら出来はしまい。

そう自分が考えなくてもすべては完璧になされている。

そうした考える自分つまりエゴ(自我)が死に切ってしまうときがくる。

そのとき、自分は生きているだろうか?

生きている。

エゴではない本来の面目(自分)になったとき悟るのである。

その後、当然認識は戻ってくる。











ラベル: 悟り
posted by あおぞら at 23:27| Comment(0) | 悟り | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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